世界的銘器 |
1.Antonio de Torres (1817-1885) トーレス [スペイン] トーレスは数年間、グラナダのホセ・ペルナスJose Pernasのもとでギター製作を学び、1850年にはセビーリャに居を構えました。楽器製作で生計を立てることはできず、故郷のアルメリアで全く別の職業についた後、晩年の1892年から再びギター製作に携わったそうです。 兄のホセ・ラミレス一世(1857-1923)からギター作りの技術を習得し、その後アントニオ・トーレス)の影響を受ける。 トーレスの死後、ギタレーロの王者として万人の認めるところとなった。 セゴビアが初期の頃、用いていたことは有名である。 3. Santos Hernandez (1873-1942) サントス・エルナンデス [スペイン] マヌエル・ラミレスの門弟の一人。ラミレスの死後、ギター制作法に改良を重ね、今日そのギターは最も高い評価を受け、400〜500万円という高価な値段が付けられている。高名なギタリスト、デ・ラ・マーサが使用していた。 4. Domingo Esteso (1881-1937) ドミンゴ・エステソ [スペイン] マヌエル・ラミレスの門弟の一人。サントスに次ぐ高い評価を得ている。 5. Jose Ramirez2 (1885-1952) ホセ・ラミレスU世 [スペイン] ホセ・ラミレス2世は、4人兄弟の長男で、ギターの仕事に興味をもったのは彼一人である。子供の頃から父1世のもとで弟子のエンリケ・ガルシア(1868− 1922)や叔父のマヌエル・ラミレス達と一緒に住み、ギター製作を習得していった。2世は優れたギター演奏者でもあったので、1904年、20歳のとき演奏グループの一員として南 米を演奏してまわり、最後にはプエノス・アイレスで結婚したので、永住することを決意した。ラミレス3世は、1922年にブエノス・アイレスで生まれたが、1923年、ラミレ ス1世が亡くなったと知らせが入り、ラミレス2世は、1925年、マドリードに帰国せねばならなくなり、19年もギター製作から遠ざかっていたが、父の工房を引き継ぐことになっ た。店を引き継いで数年後、セビリヤの博覧会で最高賞を得て、彼の名は世界的に知れ渡った。 6. Marcelo Barbero (1904-1956) マルセロ・バルベロ [スペイン] ホセ・ラミレスU世(1885-1957)の元で修行を積む。元はサッカー選手であったが、足の故障により、ギター製作家へ転向した。楽器製作は天才的でギター製作に携わった期間は短く。状態の良い楽器はほとんど現存していない。フラメンコギターも製作した。サントスの死後にその未亡人のところで仕事をし、サントスのギターの多くの特色を身につける。 7. Arcangel Fernandez (1931- ) アルカンヘル・フェルナンデス [スペイン] マルセロ・バルベロの下でギター製作の修行をする。バルベロの死後、自分の店を持ち卓越したギターの製作をはじめる。スペインの正当な伝統を受け継いだアルカンヘルの作品はスペインらしい抜けの良い、それでいて芯のある明るい音色を持っており、ギタリストを魅了している。現在は店はバルベロの息子(バルベロ・イーホ)が実質、受け継ぎ、 たまにしか製作していない。楽器の評価は高く、時価300〜400万円で取引されている。スペインの美人ギタリスト、マリア・エステルが使用している。 一方、バルベロ・イーホは着実に実力をつけてきており、父、マルセロ・バルベロやアルカンヘルには未だ及ばないものの素晴らしい作品を作り続けている。その音はやはり、スペインの伝統を受け継ぐもので、特に日本での評価は高い。日本では200〜250万円くらいで販売されている。 8. Jose Ramirez3 (1922-1952) ホセ・ラミレスV世 [スペイン] ホセ・ラミレス3世は、1922年に生まれて、1925年、3歳のときに父とともにプエノス・アイレスからマドリードに戻った。1940年、18歳のときにラミレス家代々の工房に 父の要請で入り、従来のギターを研究、解明し、音の改良に取り組み出したのである。 その当時、3世にとって残念に思っていたのは巨匠セゴビアが27年間愛用した叔父マヌエル・ラミレスのギターを休ませ、1937年からはドイツのヘルマン・ハウザー製作の ギターを好んで使用していたことである。セゴビアが気に入って演奏してくれるギターを作りたかったのである。1960年、ラミレス3世の手で作られたギターの一本がセゴビアによって選ばれ、その後、セゴビアの愛用する楽器となっ た。 ラミレス3世のギター改善を画期的に成功させたポイントを大別すると、弦長、構造、塗料、塗装の4つである。ギターの弦長については多くの製作家が過去に研究を て、現在では650mm前後のギターが一般的となった。トーレスは650mmであったが、当時の状況からみて、文献が手に入る時代でもなく、その時代に650mm弦長を設定したのであるから、素晴らしい先見の明をもっていた製作家とい える。マヌエル・ラミレスは655mm、サントス・エルナンデスは659mmを多く採用、ドミンゴ・エステソは655mm、ヘルマン・ハウザーは650mmと640mm、主として650mm を採用していた。 ラミレス3世はボディーの内部構造、響孔、駒の位置などからみて、664mmの弦長が音にとって理想的であると判断している。しかし、弾き易さを考えると、650mmが有利 であり、昨今は650mmが流れとなって好まれている。1963年に弦長に続いて改良したポイントは、ボディー内の空気震動を変えるために、胴板の内側にシープレス材の 板をこ重に貼り付けたことである。このこ重胴板によって、音質は格段に優れたものとなった。1963年には、ギターの表面板として新しい材料、レッド・ セダー(THUJAPLICATA)が使われた。弦楽器の表面板材料は、バイオリン、チェロ、ギターなど、松、ヨーロッパ・スプルースを使用するのが常識で、他の材料を使用す ることは、どの製作家も考えなかったのではないだろうか。裏、胴板はローズウッド、マホガニー、メープルなど、各種の材料が試みられたが、表面板は音にとって最も重要な 響板であり、松以外の材料に思いが行かなかったのである。アメリカのレッド・セダーを発見したラミレス3世は、その材料による試作をはじめ、音質の異なった、音量豊か なギターの製作に成功した。ナルシソ・イエペスは、この新しいギターを携えて日本に演奏流行にやってきた。この、レッド・セデーを使用したギターは、ギタリスト、製作家 に大きな影響を与え、1、2年後には世界の、多くの名だたる製作家がレッド・セデー材の採用に踏み切ったのである。 ラミレス3世のレッド・セダー材によるギターの登場はすごい衝撃だった。当時の3世の松材によるギターの音とは大きく異なり、迫力のある豊かな音量、柔らかく甘い音 色で、つやのある歯切れのよい音は、それまでの松材のギターを圧倒したのである。レッド・セダー材と比較して、松材ギターは、音質はクールで雑音のない透明な、キラキラ光るような輝かしい音と言われたが、レッド・セダー材 は、音色の変化、表現など、松材に比較して音をつくり易いとよく言われた。 1963年にレッド・セダー表面板で試作された4本のギター は、最初にセゴビアの手に渡された。セゴビアはその中の1本を選び、それまで使っていた1962年作のギターは新しいラミレスと交換された。1965年以降はラミレスの新しい ギターが何本もセゴビアによってテストされながらコンサートで使用されてきた。1967年作のギターは約3年間、セゴビアのコンサートで使用され、その後、何本かセゴビアの 家を往来していたのである。1974年、1975年には、フレタのギターがコンサートで使われた事があるが、アメリカの厳しい各地の乾燥に耐えられず、ギターの各所に割れを 生じ、使用不能となり、再びラミレス3世のギターに戻り、それ以後、セゴビアは亡くなるまでラミレスギターを愛用したのである。 今日でラミレスが得た授賞は数え切れないが、下記は主だった賞である。 1962年シカゴギター協会金貨 1962年マドリード商工会議所銅貨 1968年ローマギター文化センター名誉会員 1972年マドリード製作家協会金賞 1983年サンティアゴコンボステラ名誉会員 1986年マドリード伝統芸術家賞 1987年マドリード商工会議所センチュリーエムプレサデイプロマ 1987年パリ教育文化省デイアパソンオドール賞 近代ギターはトーレスによって始まったと言われるが、そのトーレスと並び称されてもよい現代ギターの名工は、ホセ・ラミレス3世ではなかろうか。 1960年代から1970年代にかけて、世界的にギターが隆盛し、ラミレスギターの需要が増加したために、3世は弟子の数を増やし、4階建て地下1階の空調設備の完備した近 代的な工場に移転した。材料は自然乾燥、強制乾燥によって狂いを生じなくなり、夏でも冬でも50%の湿度の室内で製作されたギターは、異なった気候条件の中でも狂いの少 ないギターとなり、世界では最も丈夫で狂いの少ないギターと言われている。 弟子達13名が製作に携わっていたので、製作されたギターには、内側に製作者の名前のイニシャルがスタンプされていた。不思議なことに、弟子連が作ったギターには微妙な 音の違いがあっても、はとんど見分け、聴き分けのできない同じようなギターが製作されていた。3世の製作意図がそのまま受け継がれ、弟子達がその指導に忠実に従って製 作していたことがうかがえる。 世界の主だったギター演奏家がラミレスギターで演奏会を開き、そのギターの製作者のスタンプを愛好家が見て、それと同じスタンプされたギターに需要が集まるようにな り、製作、販売の調整が困難になってきたため、ギター内側のスタンプを中止した。 下記はラミレス3世の弟子達である。 MANUELALONSO, CAYETANOALVAREZ, JOSELUISALVAREZ, PAULINOBERNABE, CARLOSBLANCO, ENRIQUEBORREGUERO, MANUELCACERES, ALFONSOCONTRERAS, PEDROCONTRERAS, JOSEFLORES, JUANGARCIA, MANUELGONZALES, JUANMIGUEL, PEDROGIMENEZ, JOSELOPEZ,CARMELOLLOERONA, MANUELMALO, FELIXMANZANELO, PEDROMANZANUELO、 IGNACIOROZAS, ANTONIOMARTINEZ, JULIANRODRIGUEZ, RAMONSOLER, TEODORPEREZ MANUELRODRIGUEZ, JOSEGARRIDO, ARTUROSANZANO MARIANOTEZANOS, 文: 荒井史郎 (株)荒井貿易 代表取締役 (ハーモニー1995.8〜9月号より) 9. Ignacio Fleta (1897-1977) フレタT世 [スペイン] 1897年、世界のギター名工の一人に数えられるイグナシオ・フレタはスペイン、テルエル県ウエサ・デル・コムンで家具職人の子として生まれた。14歳の時バルセロナで製作家のベニート・ハウメに師事している兄たちに加わり一緒に働くようになる。もともとはチェロ、ヴァイオリンの製作家であったが、セゴビアに出会い、ギター製作に専念する。 1957年にセゴヴィアのために3台のギターを製作した。結局セゴヴィアはフレタをあまりコンサートでは使用しなかったが、その後、J・ウィリアムス、Lブローウェル、E・ビテッテイ等、世界中で数多くのギタリストによって使用され不動の名声を得ることになる。 後年、2人の息子もギター製作に携わり、共同作品のIgnacio Fleta e hijosというラベルで発売された。その作品もまたとても素晴らしく貴重な作品となった。 イグナシオの死後、息子達だけの作品(フレタ2世)もまた、現在、世界トップレベルの銘器として有名である。 フレタのギターの音は芯があるとても美しい音を持ち、評価も高いが、現存する状態の良い楽器は少ない。時価では350〜400万円で取引されている。その音を聞きたければ日本の代表的なギタリスト稲垣稔の「SONATINA 」のCDをお勧めします。名手稲垣氏の卓越した演奏に加え、あまりの美しい音に深い感動を覚えることでしょう。 10. Fleta2 Ignacio Fleta e hijos (1925/29-) フレタU世 [スペイン] 父、イグナシオに製作を学んだ息子二人(ガブリエル&フランシスコ)は今も現役で製作をおこなっている。彼らの作品は現在の世界的な銘器として知れ渡っており、多くのプロギタリスト達が彼らの楽器を使用している。既に注文は数十年に渡り一杯で新作を入手するのは困難である。 ホセ・ラミレス3世の影響により使用材は杉、ローズウッドが多く、音は芯があり、パワフルでかつ甘美で美しいがそのポテンシャルを十分に出すにはギタリストの力量が必要とされる。 現役の製作家ながら彼らの楽器は世界3大銘器の中に入り、その所有はギタリストの憧れともなっている。中古でも時価にして300〜400万円で取引されている。 Ignacio/Francisco/Gabliel 11. Elnandez (1895-1975) y Aguado (1897-1982) エルナンデス・イ・アグアド [スペイン] 製作は、エルナンデスがギター本体の製作を受け持ち、アグアドがニス塗り、ヘッドの飾りや細工を施して、全体の点検を行うという共同作業で行なわれました。 1950年にギター専門工房としてスタートしたときの1本目をNo.100として1974年最後の作品No.454まで連続して355本製作されています。 もともとはピアノ職人でしたが、セゴビアとの出会いにより、ギターに専念したようです。 1924年の製作番号No.1のギターから始まり、何本製作したかは定かではありませんが、全部で400本以上製作したことは確かみたいです。 ちなみに、最初のシリアルナンバーNo.1と最後の No.454のギターが、茨城県八郷町のギター文化館に展示されております。 アグアドは身体が不自由であったため、晩年の1970年頃から実際の製作には携わらず、エルナンデスは、娘婿であったヘスス・ベレサール・ガルシア (Jesus Belezar Garcia 1920-1986)と一緒に製作していたようです。 スペインギターの伝統を受け継ぎ、これぞ、高貴なスペインギターという感じです。フレタとは異なり、繊細でありながらかつ芯のあるとても美しい音を持っています。 世界的な銘器としてギタリストやコレクターの憧れとなっています。時価400〜500万円で取引されています。 12. Paulino Bernabe パウリーノ・ベルナベ [スペイン] ラミレス工房で働いていたが、後に独立。彼の製作したラミレスにはPBマークがついており、ヴィンテージ級の価値がある、素晴らしい作品です。独立後も素晴らしい作品を作り続け、世界的な定評があります。かつて、イエペスがベルナベの10弦ギターを愛用していたことで有名です。 現在、200〜450万円までの幅広いクラスのギターを作っています。安心して使用できるコンサートギターだと思います。しかし、やはりホセ・ラミレスのPBブランドが最も素晴らしいと思います。 13. Hermann Hauser1 (1931- ) ハウザーT世 [ドイツ] トーレスがギターの型を確立して以来、スペイン以外で最初の名工となったドイツのハウザー1世。彼がト−レスモデルを研究し、さらにマヌエルモデルを参考にして産まれたのがハウザ−1世ギターです。アンドレス・セコビアから『これこそ世界一 のギターだ。これ以上のものは作らなくてもいい。』とまで称賛を受けた銘器です。 マヌエルラミレスからハウザー1世のギターに変えたセゴビアはコンサートやレコード録音にも多用しましたが、不幸にも録音時の事故により、ハウザーが壊れてしまったそうです。ハウザーに修理を依頼しましたが、完全には直らず、ハウザーを諦めて、ホセラミレスへと持ち替えたという経歴があります。 最近はブリームがハウザー1世の楽器を使用しています。 現在、ハウザー1世の音はブリームかギタリスト田部井辰雄氏のCDで聞くことができます。もちろん、セゴビアも1930年から1970年まで使用していたそうなのでセゴビアのCDで聞くこともできます。 14. Hermann Hauser2 (1931- ) ハウザーU世 [ドイツ] ハウザー1世の後を継いだ2世は非常に素晴らしい作品を残しました。世界3大銘器の一つとなっており、その所有は多くのギタリストやコレクターの夢となっています。ハウザーならではのクリアで美しい高音はスペインギターとは異なる音色で、多くのギタリストを魅了し、ギタリストや愛好家が一生に一度持ちたい憧れの楽器です。 音を聞きたい方は日本の世界的ギタリスト、福田進一が演奏しているCDがあります。また、渡辺香津美と福田進一が演奏しているDVDもあり、ハウザーの素晴らしさを堪能することができます。おすすめです。さらに、録音は古いですが、ジュリアン・ブリームがハウザー2世の1957年作の作品で「The Art of Julian Bream」というアルバムで1960年にアルベニス、スカルラッティ、ロドリーゴ、フレスコバルディ、ラベルの楽曲を録音しています。 時価300〜500万円という高額な値段で取引されています。 15. Robert Bouchet (1931- ) ロベール・ブーシェ [フランス] フランスで画家として活躍する一方、48才からギター製作をはじめる。トーレスシステムから独自の製作技法に研究を重ね、生涯154本のギターを製作する。何ともいえない甘く優雅な音色は、正に芸術と呼ぶにふさわしい。世界的財産と言える幻の超銘器。 昔、プレスティ&ラゴヤというデュエットがブーシェで弾いていました。その演奏技術、音の美しさは録音がアナログであるにもかかわらず、感動を覚えます。 音を聞きたい方は稲垣稔氏の「Fantasia」か若い世代の大萩康一さんのCDをお勧めします。その音の美しさは銘器たる香りを持ち、その美しい音と演奏にうっとりすることでしょう。 ちなみに、時価はありません、というよりまず、手に入りません。恐らく、取引されたとしても500〜800万円で取引されていると思います。大萩氏のブーシェは高級車2台分だそうです。 16. Daniel Friedrich (1932- ) ダニエル・フレドリッシュ [フランス] パリに生まれ、1955年に初めてギターを製作した。そのころ、彼はギターを習っていたが、良いギターが欲しかったが、買うことができなかったからである。そこで、Flancisco Simplicio(スペインの銘器)をコピーしたギターを製作した。その後、15本のギターを製作し、その中の1本をブーシェに見てもらい、製作法などアドバイスを受けた。1960年にパリに工房を開き、1967年に製作コンテストで入賞した。当時の審査委員にはブーシェとフレタがいた。1973年から音量を増やすために構造を変えた。 コンテストに入賞して以来、多くのプロギタリストに使用された。主なギタリストはE・フェルナンデス、ロベルト・アウセル、ロスアンゼルス・ギターカルテットのスコット・テナントなどがいる。日本のギタリストにも愛用者が多い。 1973年以降は表面板は杉を好んで用いているようです。その形、ロゼッタのデザインといい、美しさに溢れています。これほど、美しい楽器はないでしょう。現在の中古での取引価格は350万円前後だと思います。 17. Jose Luis Romanillos (1932-) ホセ・ルイス・ロマニロス [イギリス、スペイン] スペインのマドリードで生まれ、1956年にイギリスに移り、5年間移り住みました。その間、基礎的なギター製作のガイドブックを参考にして、自分でギターを製作しました。1964年にスペインに戻り、3年間、ギターを何本か製作しました。60年代は彼の本業は大工として働き、空いた時間でギターを製作していました。1970にジュリアンブリームとの出会いからギター製作を本職するようになりました。ブリームは彼の作品に印象付けられ、ブリームの近所に工房を与え、そこで作った4本のギターはブリームがコンサートや録音で使用されました。1981年から彼の息子のLaimが工房で製作を手伝い、1991年からLaimは一人前の職人として認められ、これ以降のギターのラベルには"Jose Luis Romanillos and Son"という新しいラベルが貼られるようになりました。 彼はまたトーレス研究家としても有名です。彼のライフワークとも言うべき、トーレス研究の本を1987年に発行しました。今では、その本はトーレス研究になくてはならないものになっています。 最近、スペインに戻りマドリード郊外に移り住み、ギター製作の学校を開講しているようです。楽器製作からはほとんど引退し、彼一人で製作された新しい楽器を購入することはほとんど不可能になりました。特別に気に入ったギタリストには製作しているようです。 日本のCMに良く出る美人ギタリスト、村治佳織は現在、1972年作のロマニロスのギターを愛用していますが、最近、ロマニロスが彼女のために特別に製作したそうです。そのギターはトーレスにも採用されたトルボナスと呼ばれる共鳴のための円筒が組み込まれている特別なギターです。(トーレスの時代にはよく採用されたそうですが) ロマニロスに憧れるギタリストや愛好家は多く、その音の美しさは繊細かつ絶品です。ブリームのアドバイスが生かされているせいか、軽く鳴らすだけでふわっと音が飛んで行きます。現在の取引価格は300〜400万円です。 18. David Jose Rubio (1934-2000) ホセ・ルビオ [イギリス] ルビオはロンドンに生まれ、フラメンコギタリストを目指して、スペインへ移住しました。3年間、マドリードでドミンゴ・エステソの工房で働きました。その後、引き続き、ギター製作を学ぶため、ニューヨークへ移り住みました。1963年にギターとリュートの工房を自ら開き、ニューヨークで世界的名ギタリスト、ジュリアン・ブリームに出会い、それをきっかけとして、1967年にブリームの住む、イギリスへと帰ってきました。ブリームのアドバイスにより、ギターは素晴らしいものとなり、ブリームが愛用することになりました。 後年、ルビオは、ヴィオラ、リュート、バロックギター、ハープシコードなどの古楽器製作もおこなうようになり、さらにはチェロやバイオリンも製作したようです。晩年、ルビオ製作したのチェロが評価されていたそうです。 ギターでは、晩年期にはギタリスト、ポール・ガルブレイスとの協力のもとに8弦ギターを製作し、その楽器が高く評価されたことからケンブリッジ大学から表彰を受けたそうです。 ルビオのギターはどちらかと言うと初期のころは大きめで、後年、小ぶりになりましたが、音は素晴らしく、芯のある深みのあるクリアな高音でギタリストに弾く満足を与えるほど素晴らしいものでしたが、後年、ギター製作は弟子のポール・フィッシャーに任せてから人気が出なくなりました。ルビオのラベルが貼られていても、ポール・フィッシャーが製作したものが多数、出回るようになりました。ルビオ自身が製作したもの(60〜70年代)は今でも高額(200〜300万円)で取引されています。 一度、楽器屋さんで70年代のルビオが製作したものを弾かせてもらったことがありましたが、音は絶品でした。しかし、指板が広く、日本人向きではありませんでした。それでも、あの素晴らしい音は忘れられません。 19. Manuel Velazqez (1917-) マヌエル・ベラスケス [アメリカ] 1917年プエルトリコ生まれ.最初家具職人からスタートしました.ヴァイオリンやギターの修理を経て後に本格的に製作しはじめています.アメリカのギター製作学校の父と呼ばれています.移民ということですが何度か個人的事情などによりプエルトリコと行き来しています.1960年代の少し小ぶりなタイプはハウザーに音質が良く似ていて現在でも高い評価です.1970年代から1980年代はアメリカ人の体格に合わせ大型になっていきます.この頃の楽器はハウザーに影響されていて60年代の名残の見受けられる楽器ですが,それよりもパワーに振った楽器といえます.1980年代位から再び1960年代のようなサイズが増えたようです.この楽器は1960年代と同じように小振りになった楽器です.フレットもフォークギターのように少し湾曲してネックも少し狭くネックの厚みも弱冠薄くなったようで弾き易くなっています。音質は大振りのものより上品になっているようです?現在はかなりの高齢のため製作本数が少なく入手が難しいようです. 1980年代の作品は日本にたくさんあります。コストパフォーマンスが非常に高いということで、多くのギタリスト達が買い求めました。しかし、残念ながら、60年代のものには決してかなうものではありません。1980〜90年代は大体140〜200万円で販売されていたため、値段と音、技術を考えればやはり、非常に買い得な作品でした。現在では新作は300万円くらいですが、高齢のため、息子が作っているらしく、やはり、往年の60年の音にはとてもかないません。ちなみに、80年代の中古は200万円前後で取引されています。70年代のものは100万円台からありますが、悪評なので、避けたほうがいいでしょう。 私の一時期、愛器でもありましたが、その素晴らしい性能を持っていました。残念ながら修理、塗装の塗りなおしでオリジナルな状態ではありませんでしたが、その音の素晴らしさに偉大なベラスケスを感じることができました。 20. Greg Smallman () グレッグ・スモールマン [オーストラリア] グレッグ・スモールマンはオーストラリアのギター製作家で世界的ギタリスト、ジョン・ウィリアムスの愛用しているギターとして有名です。ギターの表面板の構造は独特で、格子状の力木とカーボン・ファイバーを採用し、素材としては杉を利用して伝統的なギターの表面板の厚さをかなり薄くしています。これにより、バランスのよい、音量のある音を実現しています。しかし、その分、ギターの裏面は若干、ヴァイオリンのように丸みを帯び、全体としてのギターの重量が伝統的なギターより重くなっています。現在では、世界中の多くのプロギタリストに採用されています。現在では、息子と作成しているようでラベルに"and Son"と書かれているようです。 ジョン・ウィリアムスが採用してからこの楽器の人気はうなぎ上りで中古でも300〜400万円で取引されています。注文数も多いため、新作に出会うことはまず困難です。 21. Jose Ramirez4 (1953-) ホセ・ラミレスW世 [スペイン] ラミレス4世は1953年、マドリードで生まれ、学校を卒業後、18歳のときに3世の工房に入り、ギター製作を勉強した。1977年、1979年につくった4世のギターはセゴビアによって採用され、セゴビア愛用のギターにつけ加えられた。日本のコンサートでは4世のギターで弾かれ、輝かし い、つやのある歯切れのよい魅力ある音色で聴衆を感動させた。セゴビアは後日、4世に手紙を送り、ギターを誉めたたえ感謝していると伝えている。 ギターの知識、製作技術は3世から全てを学び、弟子三人とともに理想的なギターの製作をし、ギタリストの要望に応じてユリア・ニスとともに、伝統的なセラック・ニスも使用し、レッドセダー、松材使用による音の差が小さくなったよう に思われる。その時代、時代ごとの音に対する感覚も変わっていくのかも知れない。 現在、非常にコストパフォーマンスに優れているギターとして有名です。伝統ある歴史を持ちながら、プロフェショナルモデルで新品でも120万円〜で中古だと50万円程度からあります。ちなみに日本が誇る世界のギタリスト山下和仁氏はセゴビアと同様、したラミレスしか使用していません。最近の山下和仁氏の録音はラミレス4世を使用しています。 ちなみに、私も一時期、発表会で使用していたことがあります。セラック塗装のスペシャルモデルでした。 22. Hermann Hauser3 (1958-) ハウザーV世 [ドイツ] 1974年、15歳の時に父であるハウザー2世の下でギター製作について学び始めました。現在では世界的な製作家として認められ、ハウザーの伝統を継承しています。 1、2世と比べ評価は劣りますが、現存する製作家としては世界的に優れた製作家であることは間違いありません。それ故、1,2世に憧れるけど手が届かないというハウザーファンに人気があります。値段は250〜350万円といった相場です。 23. Antonio Marin Montelo (1933-) アントニオ・マリン・モンテーロ [スペイン] アントニオ・マリン・モンテーロはスペインのグラナダ生まれで元々は優秀な家具職人でした。26歳の時、ギター製作家へ転向することを決心し、エドアルド・フェレールの下でギター製作を学びました。その後、自分の工房を持ち、優れたギターを作れるようになったものの、満足せず、1981年、パリのロベルト・ブーシェを訪ね、トーレスの技法を学び直しました。ブーシェの工房で一緒にギターを完成させ、ブーシェの技法を受け継ぎました。 その後、優秀な製作家を育てるために、グラナダにギター製作学校を設立し、後進に寄与しています。 彼のギターは世界的にも著名で、今では多くのギタリストが彼の楽器を採用しています。値段的にも手ごろなので、アマチュアにも人気があります。値段は150〜200万円といったところです。非常にコストパフォーマンスが良い楽器としておすすめです。 24. Robert Ruck (1945-) ロバート・ラック [アメリカ] ロバート・ラックは世界的なギタリスト、マヌエル・バルエコによって採用され、それ以来、人気のあるブランドとなっています。バルエコの演奏に魅せられたギタリスト達がロバート・ラックを使用しています。 音は非常にピアノに近い音で非常にクリアな音がします。かつバランスが良いのも特徴的です。伝統的なスペインギターとは音色が大分、異なります。バルエコが使用したモデルは杉、ハカランダ(裏面、側板)でこのモデルが一番、人気があるようですが、ラックはトーレスモデルなど伝統的なモデルやフレタモデルをはじめ多くのモデルも製作しています。 人気があるので注文が多く、新作を手にするのは少し、難しいかもしれません。中古の値段は150〜200万円といったぐらいです。 最近では、バルエコはコンサートにはドイツの製作家、マチス・デマンを使用し(レコーディングには依然としてロバート・ラックを使用しているそうです)、元々は、有名なギタリスト、ロバート・ラッセルがウィリアム・ギルバート(アメリカ)の楽器からデマンに変えたこともあり、デマンのギターの価格が大幅に上がり、今ではデマンは300万円くらいで売られています。ちなみに、ギルバートもデマンも伝統的なスペインギターとは系統が異なります。どちらかというと、音量重視です。もちろん、とてもクリアで美しい音なのですが、いわゆるこれまでの伝統的なギターに比べて深みがないという、意見もあります。 私も一時期少しだけ、杉、ハカランダモデルを使用しましたが、バランスが良く、クリアな音ですが、やはり伝統的な音に比べすぐに飽きがきてしまう感じがしました。 25. Paull Jacobson () ポール・ジェイコブソン [アメリカ] 彼は1972年に初めてクラシックギターを製作しました。ギター製作家Macario Brisenoの下で見習いとして修行し、その後、1984年に独立しました。1986年に開かれたギターフェスティバルに数本を出品し、注目を浴びるようになった。現在はロスアンゼルス・ギターカルテットのメンバーである、ウィリアム・カネンガイザーが使用していることで有名です。音量があるため、多くのギタリストに採用され、ある時期、村治佳織も使用し、レコーディングで用いました。値段は150万円前後だと思います。 26. Paull Fisher (1941-) ポール・フィッシャー [イギリス] ポール・フィッシャーはイギリスに生まれ、1956〜61年、ハープシコード製作を学びました。オックスフォードの工科大学で学び、その後、ルビオの工房の主任製作家となりました。1973年に独立して現在では、世界的な製作家として知られています。 一時期、イギリスの女性ギタリスト、ニコラ・ホールがコンサート、CD録音に使用していました。日本でもCDが発売されています。(その楽器は日本の楽器屋さんで売られ、今、日本人が所有しているのではないでしょうか。その後、彼女はフレタ2世に買い換えました。日本で発売されているCDではグレッグ・スモールマンとフレタ2世が使用されています。) 有名なブランドであるわりには100〜200万円くらいで購入できるのでアマチュアにも人気があります。ロゼット(サウンドホール周りの飾り)も洒落ているので女性に人気があるようです。 |
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