偉大なるギタリスト達

 18世紀末から19世紀初頭はギターの黄金時代で、大ギタリストがぞくぞく現れました。その中でも、フェルナンド・ソルは特に有名でギターのベートーベンと評されギター曲に不朽の名作を数多く残しました。その他イグナシオ・アグアド、マウロ・ジュリアーニフェルナンド・カルリ、教則本のマテオ・カルカッシなどが活躍したのもこの頃です。

フェルナンド・ソル イグナシオ・アグアド マウロ・ジュリアーニ


 また、バイオリンの鬼才ニコロ・パガニーニはバイオリン曲以上にギター曲を残し、シューベルト、ウェーバーは室内楽に、ロッシーニはオペラにギターの活躍の場を与えてくれました。

 19世紀後半ギターは、ロマン主義音楽の要求に取り残され再び衰微します。しかし、フランシスコ・タレガの出現によりギター音楽は世界に揺るぎない地位を築き上げられました。彼はこれまでの古い演奏法を改め、ギターのあらゆる可能性を極限まで追求し、「近代ギターの父」と称され、その作品は「アルハンブラの想い出」をはじめとして世界中のギタリストに愛奏されています。

フランシスコ・タレガ


 そしていよいよ20世紀の黄金時代に入り、タレガ門下のリョベートフォルティアプジョールなどが活躍します。その中でもセゴビアは世紀最大のギタリストというより世界の音楽家の中の巨匠と言え、幅広いレパートリーよりなる独奏曲をはじめ、協奏曲などにも精力的な活動を続け、独奏楽器としてギターをバイオリンやピアノなどと同等な地位まで引き上げました。今や世界中の大作曲家が彼のために作曲し、数多くの名曲を生むに至りました。

 ここで、現代クラシックギター界に決定的影響を与えた世界的巨匠ギタリスト、セゴビア、イエペスについて紹介します。


1.アンドレス・セゴビア(1893〜1987)

アンドレス・セゴビア


 スペインが生んだ20世紀最大のギター奏者のひとり、セゴビア。彼は独学でギターを学び、16歳でグラナダでデビュー。このデビュー・コンサートが地方新聞で大好評を博したことで、彼の決意は固まり、「ただちにギターの使徒になろうと決心した」と自伝に書いています。

 1912年、セゴビアは首都でのコンサートを開くために、マドリードに行き、そのおり、当時名工として知られた、マヌエル・ラミレスの工房を訪れて、コンサートで使うギターの借用を願い出ます。ラミレスが手渡したギターを、セゴビアは一目見て気に入り、我を忘れて試奏に没頭しました。ラミレスはすっかり感心して、そのギターをセゴビアに無償で与えました。

 たまたまそこに、王立音楽院のバイオリン科の主任教授が、来ていました。彼はセゴビアが、その豊かな才能をギターに浪費するのを惜しんで、バイオリンに転向するなら力になろうと申し出ました。セゴビアは感激しながらも、ギターはバイオリンよりはるかに自分を必要としている、と答えて丁重に辞退しました。 もし、このとき、セゴビアが主任教授の申し出を受け入れていたら、おそらく今日のギターの隆盛はなかったでしょう。


 23歳で初めて南米に演奏旅行を行い、31歳の時にはパリでの演奏が大成功。以来、欧米各地で独奏会を開き、セゴビアはホールでコンサートを開いた最初のギタリストとして成功を収めます。

 セゴビアは「セゴビア・トーン」と呼ばれる独自の音を追求し、その音は限りなく美しいクリアな音と音の伸びで聴衆を魅了しました。

 これまでのギターレパートリーを超えて、ピアノ、ヴァイオリンへの編曲を数多くおこないました。さらに、ポンセ、ヴィラロボス、ロドリーゴをはじめとするオリジナルギター曲を依頼し、独奏曲に限らず、協奏曲にまでレパートリーを広げました。これにより、セゴビアはクラシックギターがフラメンコなどの大衆音楽とは一線を画し、ピアノ、ヴァイオリンと対等に芸術音楽であることを示したのです。

 その後、次期のクラシックギター界の発展のために後進の指導にも注力し、ジョン・ウィリアムズ、オスカー・ギリア、クリストファー・パークニングをはじめとする世界的ギタリストを育てました。


2.ナルシソ・イエペス(1927〜1997)

ナルシソ・イエペス


 ナルシソ・イエペスは1927年11月14日にスペインのロルカで生れました。イエペス家は農家で音楽とは無縁でしたが、4歳の時に父からプレゼントされたギターを見様見真似で習得した事から、ロルカの音楽アカデミーで正式にギターを学ぶ事になりました。13歳でバレンシア音楽院に進み、ギターをエスタニスラオ・マルコ、ホアキン・ガルシア・ローサ、ラファエロ・バラゲールに、作曲をマヌエル・パラウ、ビセンテ・アセンシオに学びました。

 1947年、20歳の時に大指揮者アタウルフォ・アルヘンタに自分の演奏を聴いてもらうチャンスを得、その演奏に驚いたアルヘンタの紹介で、マドリッドへ出てサインス・デ・ラ・マーサのもとで学ぶ事となりました。同年、イエペスはアルヘンタとスペイン国立管弦楽団のコンサートにソリストとして招かれ、アランフェス協奏曲を演奏しました。マドリッドでの演奏は好評で、その後のパリ、ジュネーヴほかでの成功で、無名のイエペスの名はヨーロッパ中に知れ渡りました。

 1950年、イエペスは演奏活動を中断してパリに留学し、作曲をナディア・ブーランジュに学ぶと共に、ジョルジュ・エネスコとワルター・ギーゼキングに就いて演奏法を学びました。
 1952年パリで初のリサイタルを開催しましたが、この頃に映画監督のルネ・クレマンと知り合い、映画「禁じられた遊び」の音楽を担当、世界的に有名なギタリストとなり、各地でリサイタルやオーケストラとの共演を行ないました。日本を初めて訪れたのは1960年で、その後1996年までの間に17回来日しています。

 1964年からは、ギター職人ラミレスが考案し、イエペスが完成させた10絃ギターを使うようになりました。一部では邪道との批判もあったようですが、多くの音楽愛好家に受け入れられ、ギター界の第一人者として、活躍を続けました。
 


3.レヒーノ・サンイス・デ・ラ・マーサ (1896-1981)

 

4.マリア・ルイサ・アニード (1907-)

 アニードはアルゼンチンの出身でリョベートの弟子。11歳にして始めての演奏会を、タレガの愛用したギターを使用して開くなど天才振りを発揮し、日本でも著名。

5.プレスティ (1924-1967) & ラゴヤ (1929-1999)







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